人事部長のひとりごと・・・

「いい人」を強要する職場風土が日本の生産性を下げている


新参者にありがちな「理不尽」あるある

みなさんは自分の担当業務とは全く関係の無い仕事を、他人から一方的に押し付けられて「イラっ」とした経験はないだろうか?

多分に私の偏見が入り混じっていることを承知で言わせてもらえば、「理不尽な仕事」を押し付けられる被害者は概ね「職場の新人」と相場が決まっているような気がする。

そして「職場の新人」には新卒採用の若手のみならず、私のような中途採用組も含まれるのだが、私が過去に経験した「それっておかしくない?」っていうケースは例えばこんな感じだ。

  1. 自部署に関係のない仕事を押し付けられた
  2. 自分の上司ではない人から雑用を言いつけられた
  3. 仕事の一部を手伝うはずだったのにいつの間にか全部丸投げされていた

これらの事象を「理不尽」と捉えるか、「これくらいガマンして当然」と思うかは人それぞれであるが、本来の職場のルールや業務フローから逸脱したルートで我が身に降り掛かってくるものである以上、やはり「理不尽」であることには違いない。

そしてこういった「理不尽」がまかりとおる組織にはある共通点がある。

それは社内の「業務分掌(部署ごとの担当業務)」や「職務分掌(各業務の責任者)」が明確になっておらず、これらがが長年の慣行によって「属人化(業務が個人にぶらさがっている状態)」してしまっていることだ。

そもそも会社組織に「部署」や「役職」が設けられている理由は、みんなでなんでもかんでも中途ハンパに対応するよりも、専門の知識を有し、事務手続きに精通したその道のプロが処理した方が、組織全体の仕事の質や生産性が高くなるからだ。

さらに資本主義下の営利法人においては企業経営者は常に投資家から「ローコスト・ハイリターン」のプレッシャーを受けるため、自社の「業務分掌」と「職務分掌」を明確にし、きちんと機能させることで効率よく組織を運営してゆくことが不可欠である。

よって「新参者あるある」の「理不尽」な仕事の慣習というものは、企業経営にとっては害悪以外の何物でもないのだ。

よってたかって「正論」を殺す日本の職場

さて、もし自分が本来引き受けるべきではない仕事を言いつけられたらどう対処すべきだろうか?正解は「引き受けられない理由」をきちんと説明した上できちんと「お断わり」するのが正しい選択だ。

しかし実際には「新参者」ほど先輩社員に対して「NO」を言いづらい空気が職場に漂っており、また体質の古い組織には「郷に入れば郷に従え」といった風潮が根強く残っているために、「嫌な仕事」や「つまらない雑用」ほど「なんとなく」新参者に押し付けられてしまう傾向がある。

また押し付けられた側も「職場の和」とか「協調性」といった強い同調圧力に常に晒されており、新天地で「村八分」にされて仕事から干されないためには多少の理不尽は黙って受忍して「泣き寝入り」するしかないのが実情だ。

そしていったんそういった「理不尽なルール」を受け入れてしまうと、あとはなし崩し的に「おかしな仕事」を周囲からどんどん押し付けられるようになってしまう。

すると次第に自分が本来行うべき大事な仕事にまで手が回らなくなり、具体的な成果をあげることが困難になってゆく。

確かに職場では「いい人ね~」と言ってもらえるかもしれないが、「有能な人材」としての評価を得ることは叶わなくなるだろう。

このようにせっかく有能な人材を採用しても「淀んだ職場」にじわじわと絡め取られてしまうことで、やがて年月とともにとうが立ってしまい、「人当たり」がいいだけでまるで使えない「沈殿カス」のような人材に変質してゆくのだ。

いったん「沈殿カス」に成り下がった人間には、もはや組織改革や業務改善のモチベーションなどは残っておらず、それゆえに日本の職場というものはいつまでたっても生産性が上がらない悪循環に陥っているのではないだろうか。

仕事のデキる人は安請け合いしない

ちなみに私は、たとえ入社間もない新人時代であっても、「それっておかしくない?」といった無茶振りに対しては、その場でキッパリとお断りしている。

もちろんそれによって古参社員達との間に軋轢が生じることもしょっちゅうであるが、周囲の顔色を伺って自分がすべきではない雑用を安請け合いしたところで、職場に対しても、自分自身に対してもなんのメリットもない。

そんな私は「協調性のかけらもない社会不適合者」なのか・・・と思いきや、脳科学者の中野信子さんが自身の著書「世界の頭のいい人がやっていることを一冊にまとめてみた」という本の中で興味深いことを仰っていた。

「仕事のデキる人というのはあえて空気を読まないものであり、もし自分に関係のない仕事を振られたときは安請け合いせずに、さっさとその仕事の担当者に引き渡して、組織全体でもって成果をあげようとする。」

さらに「アドラー心理学」で有名なアルフレッド・アドラー博士の大ベストセラーである「嫌われる勇気」の中にも、安易に他人に迎合しようとするあまり、つい仕事の本質を見失いがちな多くの日本人サラリーマンにぜひ知っておいて欲しいことが書かれていたのであわせてご紹介したい。

「世の中には相手に対して巧みに罪悪感を植え付け『あなたのために言っている』などと言いながら相手を自分に都合よくコントロールしようとする人がいるが、その結末について責任を負うのは一体誰なのか?ということをよく考えるべきである。」

そろそろ「いい人」やめようぜ・・・

仕事のデキる有能なプレイヤーほど、新たな職場に着任したらまず自分が思う存分に戦うことができるような「仕事の環境づくり」から着手するものであり、そのひとつが「雑用は新人の仕事」といったナンセンスな「慣習」や「しがらみ」を徹底的に排除することである。

それをスマートにやるか、ブルドーザーよろしくゴリゴリとやってしまうかは人それぞれだろうが、少なくとも長期的なキャリア戦略という視点で考えると、どれほど「いい人」であっても、具体的な成果をあげて会社の利益に貢献できない人材が、長きに渡って会社の信頼を得てゆくことは難しい。

そもそも仕事において我々が成すべきことは「周囲とうまくやること」ではなく「具体的な成果を上げること」である。

もし自分の職務を忠実に遂行しようとすれば他人との軋轢は避けることができないし、「いい人」であるかどうかなどといったことは二の次のことだ。

こういった考え方に対して「職場の仲間とうまくやれずに成果をあげられるのか?」と反論をする人もいそうだ。

しかし周囲の顔色を伺って自分に関係のない雑用まで「安請け合い」することと、「チーム精神を発揮すること」とは全く別物である。

最近「仕事ができる人できない人・・・いい人は無能の代名詞である(堀場雅夫著)」という本を読んだが、まさに職場で波風を立てないことだけを考えて大過なく定年まで会社にぶら下がろうとするサラリーマンには耳の痛いタイトルだなと思った。

またかつて戦国時代に中国地方の雄として知られた毛利元就も「職場の同僚全員から好かれるようなヤツは信用するな!」と息子達に言い残している。

アサーション・トレーニングも有効かも

「軋轢を恐れずに正論を吐く」って生き方は、いまだに閉鎖的な同調圧力が強くはびこる日本の職場においてはたくさんの「向こう傷」を負ってしまう「しんどさ」はある。

一方で自分の気持ちに正直に生きることで「職場のストレスが鬱積してメンタルに不調をきたした・・・」などという日本のサラリーマンにありがちなトラブルから解放されるというメリットもあるので、一概に不器用な生き方であるとも言い切れない。

実際のところ私の半生は、ちょっとカッコつけて言えば「千軍万馬」「満身創痍」ではあったが、これはこれでなかなか痛快な人生だったのではないかと一人悦に入りつつ、でもそろそろ尖った仕事のスタイルから卒業してもう少し楽に生きようかな・・・とも思うようになった。

そこで相手の立場を尊重しつつ、角を立てずに自分の意見を通す「アサーション」なる対人コミュニケーション・スキルのトレーニングを受講してみようかと、さっそく受講を申込んできたところだ。

格闘技にたとえるなら私のこれまでの正論を貫徹させるやり方はボクシングみたいなもので、一方のアサーションはきっと合気道みたいなものではないかと勝手に想像している。

アサーション・トレーニングの受講後に自分がどう変わるのか非常に楽しみにしているが、この受講体験記はまた別の機会に改めてご紹介したい・・・。

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