人事部長のひとりごと・・・

日本の職場からセクハラが無くならない根本的な理由


ハラスメント防止措置が事業主に義務化されたが・・・

昨年の法改正によって「職場のセクハラ・パワハラ防止措置」が事業主に義務化されたが、実際には日本の多くの職場において有効な「セクハラ・パワハラ防止措置」が進んでいないことについては異論の余地がないだろう。

たしかに件の法改正では、事業主に対して「努力義務」を課すにとどまっており、実効性に欠けるということも一因かもしれないが、しかしそれよりも日本の会社組織に深く根付いたハラスメントを黙認する風土こそ、最も大きな要因ではないかと思う。

このことについて伊藤忠商事の元会長の丹羽宇一郎さんが、「いくらDXを掲げても日本企業のタテ割・パワハラが消えないワケ(現代ビジネス)」という記事の中で非常にわかりやすく解説されていたので、私の意訳を若干交えて要旨をご紹介したい。

「日本のタテ割・パワハラが消えないワケ」要旨

日本の職場文化の大きな特徴は、入社年次の古い「古株社員」を頂点とした「社歴」の年次によって形成される「先輩・後輩」という序列が幅をきかせていることであり、この序列が組織に「閉鎖性」をもたらし、ハラスメントやコンプラ違反の温床となっている。

そしてこの「閉鎖性」こそ日本特有の「メンバーシップ型雇用」の根幹をなすものであり、社歴による序列によって「昇進」を決めたり、また会議の席における「上座・下座」とか「発言の順序」など、その組織におけるインフォーマルな秩序を形成している。

こういった「社歴」による序列が組織の運営に影響をおよぼすような集団を「タテ型組織」といい、「タテ型組織」においては、もし上役が不正に手を染めていたとしても、それを告発した部下はむしろ「職場の調和を乱した者」として「村八分」の制裁を受けてしまう。

ゆえに日本の多くの職場において「忖度」「長いものには巻かれろ」「空気を読む」といった悪しき慣習がはびこるのであり、目の前でセクハラやパワハラが公然と行われていても、多くのサラリーマンは見て見ぬフリを決め込んでしまうために、いつまで経っても不正やハラスメントは解消されないのだ。

私が体験したタテ割組織(社会)の実例

丹羽さんの記事は決して大げさな内容などではなく、私自身も職場や町内会などで実際に似たような経験をしたことがあるのでよく理解できる。

たとえば新卒で入社した会社では「俺、入社◯◯年目だけど、おまえは?」といったやりとりが日常的に飛び交っていたし、またある先輩は「ウチの会社は1年次はゴミ、2年次は奴隷、3年次でようやく人間として扱われるからそのつもりで・・・」などと、とんでもない新人教育を行っていた。

また地方で暮らしていた時には、その地域の「古参」の住民達がコミュニティにおいて強い影響力をもち、私のような新参者がちょっと目立つようなことをすると、あっという間に家族ぐるみでまさに「村八分」にされ、まるで「カースト制度」の底辺にいるかのように、万事においてなにかと息苦しい思いをしたものだ。

「意識高い系」の人達の勉強会においても、本来であれば会員それぞれがお互いに対等の立場でもって教え合い、また学び合うという理念でもって設立された会だったはずだが、ある体育会系の男がリーダーになった時から「入会年次による序列」ができあがってしまい、すっかり会の雰囲気がおかしくなってしまった。

懇親会は「ムラの秩序」を維持するための場

某外資系銀行に勤める日本人の人事部長が15年くらい前に書いた本の内容を思い出したのだが、当時の外国人上司が、日本企業の「社員旅行」を自分の職場に導入し、嫌がる部下達を尻目に余興の出し物として「寸劇」と演じさせたという話が載っていた。

その「寸劇」とは、日本の時代劇のような「勧善懲悪」のベタなストーリーで、悪を懲らしめる正義のヒーローは当の外国人上司であり、やっつけられて退散する悪者どもは部下達というキャスティングだったそうだ。

そしてこの本の著者は「おそらくこの外国人上司は、余興にすぎない寸劇をうまく利用して、組織の中で誰がボスなのか?ということを、メンバー全員に知らしめようとしたのではないか?」と述べている。

そう考えると日本の職場で行われている「懇親会」なども、社歴の序列でもって「上座と下座」を決め、新参モノは古参の先輩たちにお酒を注いで回ることが「ビジネスマナー」であると教育することで、「ムラの秩序」を維持するための場となっているのだ。

男性と女性の性的本能の違い

男性は「多くの種を残したい」生き物なので、初対面の女性と会うことに対して心理的な抵抗を感じる人は少ないといわれている。

一方の女性は、出産適齢期が限られており、かつ出産は母体へのリスクを伴うため「少しでも優秀な種を残したい」という本能が働くことから、素性のよくわからない男性に対してはかなり慎重になる傾向があるそうだ。

ゆえに男性は女性の心を開き、信用してもらうために、時間をかけてあの手この手で自分の良さをアピールし、女性の警戒心を解いてゆくのだが、一方でどんな女性にとっても「箸にも棒にもかからない」ような男性はどうすればよいのだろうか?

語弊を恐れずにあえて言うなら、そういった「残念な男性」が、自らの生殖本能を満たすためにとるべき道は、女性を「拉致」して「強姦」するしかない。

懇親会という名の女性社員の狩場

「このオヤジはなんてことをいうんだ!」と思われるかもしれないが、これは古代から近代にいたるまで、戦争のたびに被征服地において婦女子の「略奪」や「暴行」が繰り返されてきた歴史からみても明らかだ。

そして徴兵のための「動機づけ」や戦場で兵士達の「忠誠心」を維持するために、時の為政者達によってこういった非人道的な蛮行がたびたび黙認されてきたこともまた事実である。

現代の法治国家においては、己の欲望のおもむくままに女性を拉致・暴行するような行為は絶対に許されるべきではないし、また「犯罪」として厳しく処罰される。

しかしその裏ではモテない男が職場での優位な立場を悪用し、仕事にかこつけて女性社員に対してセクハラ行為を働くケースがあちこちで後を絶たないが、これは現代のサラリーマン社会においても、かつて戦場で蛮行が行われていた時代から、その本質はなんら変っていないということではないか。

さらにそういった卑劣な行為に対し、見て見ぬ振りをしている経営者もまた、略奪・暴行を黙認した昔の為政者と同じように、セクハラ行為を自社の「兵隊達」を手なづけるための「必要悪」程度にしか考えていないのではないかと思ってしまう。

社内恋愛に対する男女のギャップ

昭和時代には、「女性の新卒採用」は男性社員の結婚相手をあてがうために行うもの、というように認識していた会社が結構あり、また「社内行事がキッカケで男女が急接近してゴールイン・・・」などという話も珍しくなかったことから、未だに社内の懇親会に「何か」を期待している男性は多い。

しかし最近は「ジェンダーレス」に対する意識がこれまでにないくらい高くなっており、かつての「腰掛けOL」というよりも、「ガチのキャリア」を求めて社会に進出する女性がどんどん増えている。

また「JOB型雇用」や「パラレルキャリア」が当たり前になってくると、職場は「仕事の場」と割り切り、むしろ「公私の別」を明確に線引きしたい女性社員もまた増えてくるのではないだろうか。

私は小売業や医療業などの「女性の職場」が長かったためか、働く女性達の価値観や心理というものを割と理解しているつもりだが、こういった職場の女性達は世の男性諸氏が思っているほど社内の男性に「何か」を期待している人は少ない。

であればそろそろ必要以上に「社員同士の親密さ」を求めることはやめ、むしろドライなくらいに「公私の別」を明確にして「セクハラをさせない」また「セクハラしづらい」ような職場づくりを本気で推進してゆかねば、「ジェンダーレスな職場の実現」など到底無理だろう。

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