この記事、投稿当初は「事業主は労働者が労災によって休業した場合、労災保険からの休業補償とあわせて賃金の全額を補償しなければならない。」などと言い切っていたが、その後、内容が二転三転し、現在はさすがに間違った記述は削除されたものの、相変わらず支離滅裂な内容となっている。なんでこうなってしまったのか推察するに、そもそも法律の基本を理解していないのと、なんとか保険商品の必要性に帰結させたい意図が働いているからだろう。
そこで読者が判断を誤らないように、人事労務の専門家の立場から論点を整理させてもらうと、たしかに労働者が労災によって傷病にかかったり、休業したりした時は、事業主は労働基準法の災害補償義務にもとづいて、被災した労働者の療養費や休業中の生活補償を行わなければならない。しかし労災保険から各種補償給付が行われる場合には、事業主は労働基準法に定める災害補償義務を免責される(法令にそのようにしっかりと明記されているが…)。
ただし労災保険の休業補償は、休業4日目から保険給付が行われる。休業補償給付が行われない3日間を待機期間というが、労災事故のうち業務災害に限り、事業主は被災した労働者に対して待機期間中の休業補償を行う義務がある。また労災保険制度には、付帯事業として被災労働者の社会復帰促進を目的とした特別支給金制度があり、被災した労働者は労災保険と特別支給金を合わせて休業給付基礎日額(≒平均賃金)の8割相当を受け取ることができる。
一方の民法536条2項だが、こちらは事業主の不法行為によって労災に遭った労働者が就労不能となった場合、労働者は事業主に対して賃金の全額を請求できるというものである。そもそも労働者が賃金を得る機会を喪失したのは事業主の不法行為によるのだから、労働者は労働サービスを提供していなくても、賃金の全額を請求できるという趣旨だ。つまり労災保険の休業補償は労働法令上の事業主の責務だが、民法536条2項は契約関係にもとづき事業主の債務履行を請求する権利なので、両者をごちゃまぜにして論じること自体に無理がある。
ちなみに民法536条2項において、事業主の不法行為を証明するのは労働者の側であり、事業主が賃金の支払いに応じなければ、労働者は自ら民事上の損害賠償請求訴訟を提起しなければならない。しかしそれには時間も費用もかかるため、被災した労働者の速やかな救済を目的として、労災保険から賃金の6割(および特別支給金から2割)相当の保険給付が行われる仕組みになっている(したがって労働者は、労災保険から休業補償を受けつつ、事業主に対して民法536条2項にもとづき、賃金債権にかかる債務履行請求訴訟を提起することもできる)。
もうひとつ補足すると、労災保険制度は、事業主が資力不足によって、労働基準法の災害補償義務を履行できない場合に、事業主の災害補償義務を代行するものである。ゆえに労災保険は原則として全ての事業主が強制加入することになっており、労災保険料も事業主が全額を負担しなければならない。さらに民法と決定的に異なるのは、労災保険から保険給付を行うにあたって事業主の不法行為の有無は関係ないということ。被災した労働者が事業主の不法行為を立証しなくても、労働基準監督署長が労災認定すれば、事業主に災害補償義務が生じる。
実際のところ、労災保険でカバーされない部分を対象とした損害保険は多数存在するし、労災リスクの高い業種であれば、こういった損害保険商品も積極的に検討すべきだと思う。ただし事業主の義務であると誤解されかねない紛らわしい表現でもって民法536条2項を持ち出すのはいかがなものか。民法536条2項はこれまで述べたとおり当事者間の争訟を前提としているので、場合によっては無用な労使トラブルを誘発してしまうのではないかと懸念している。
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