紹介記事「ヨーカドー大量撤退で無責任批判なぜ起きた?」の要旨まとめ
- イトーヨーカドーが北海道・東北エリアから撤退を決めたことに対して「出店時には商店街をぶち壊しておきながら、採算が悪化したからといって一方的に撤退するのはけしからん!」といった批判があるが、これは全くのお門違いである。
- イトーヨーカドー撤退に対する批判は、私たちの心の中に内在する「スーパーvs商店街」「スーパーは悪、商店街は善」というクリシェが顕在化したものだが、スーパーは商店街が進化したものであり、長らくスーパーと商店街は共存してきた
- 「大店法を廃止したから商店街が衰退したのだ」という批判も間違いであり、大店法廃止以前から商店街の衰退は始まっていた。したがってイトーヨーカドー撤退に対する批判は「スーパーは悪」というイメージが先行したに過ぎない。
- 「地方はチェーンストアやショッピングモールだらけでつまらない」というファスト風土批判論を唱える人達は「商店街こそ理想の街の姿である」と盲信しており、こういった人達の間でイトーヨーカドー撤退に対するクリシェが沸き起こっている。
- 「スーパーは悪、商店街は善」という認識は「買い物は自動車ではなく徒歩に限る」といった考えの人に多いが、今や日本国民の自動車保有台数は過去最高であり、多くの商業施設がロードサイドに集中しているので、スーパー批判は間違っている。
- そもそも商店街が衰退したのは魅力が乏しいからであり、GMSが繁盛しているのは顧客のニーズに真摯に向きあって顧客満足度を追求してきた結果である。つまり重要なことは顧客ニーズに応えられた企業が生き残るということである。
前回に引き続きイトーヨーカドーの北海道・東北エリア全店閉店に関する記事の紹介。紹介記事のライターは前回と同じ人。今回は「イトーヨーカドーの大量撤退は無責任だという批判はお門違いだ。」という内容の記事だが、「この記事こそまるで見当違いだ。」というのが私の意見。なんだか商店街と地元の固定客が一方的に悪者にされている印象を受ける記事だが、であればまずヨーカドー批判の具体的な内容と出所をきちんと明記して頂きたいもの。
全体的に冗長な文章で、論点があちこち飛躍しながら、根拠の裏付けの乏しいまま、断定的に話が進んでゆく記事なので、文意を汲み取るのに難儀したが、要するに、①今回のイトーヨーカドー大量閉店について商店街から無責任だという批判が寄せられている→②商店街は「大店法廃止でスーパーは恩恵を受けたが我々は迷惑を被ったのでスーパーは悪で商店街は善だ。」などと言っている→③しかし商店街が衰退したのは自業自得だ…といった内容らしい。
正直言って、よくこんなもの東洋経済オンラインが掲載したな…などと驚いているが、それはともかくとして、もし本当に批判があったとすれば、①突然のイトーヨーカドー撤退により地域経済が衰退してしまうことへの懸念、②ステークホルダー・ファーストのCSRを謳っておきながら、地域社会の利益を損なうような無責任な経営判断に至ったことに対する憤り、などではないかと思われる。なお前回同様に、相変わらずリテール経営に対する認識違いが散見されるため、そのあたりも補正しつつ、私の見解を述べさせていただく。
早速だが、紹介記事は総合スーパー(GMS)と食品スーパー(SM)の認識がごちゃまぜになったまま、商店街との関係性を論じているが、GMSとSMでは商店街や地域社会への影響度合いが全く異なる。そこで紹介記事の文脈からスーパーというのは恐らくGMSだろうと推察して、このくだりを解説すると、GMSは商店街の進化形などではない。商店街は日本古来の楽市・楽座をルーツとする自然発生的な商業集積だが、GMSは米国ウォルマートなどをモデルに日本に導入された、統一性(共通のコンセプト)、総合性(品揃えの豊富さ)、集積性(ワンストップショッピング)などの明確な戦略にもとづいて開発・運営される異業態である。
さて、GMSのような大型商業施設が出店すると、その地域に大量の雇用を創出するだけでなく、警備や清掃、設備工事、小口配送、タクシーなどの周辺産業やインストアベーカリーをはじめとするテナント業者、近隣大型店の集客力に依存する小規模小売店や飲食店にビジネスチャンスを創出する。しかしGMSが撤退すると、GMSをコアとした商業クラスターが壊れてしまうため、地域の商業活動の縮小を招く。つまり今回のイトーヨーカドーに対する批判のひとつは地元経済の衰退に対する懸念、といった現実的な声だったのではないだろうかと推察する。
このようにGMSは地域への影響が大きいため、大手各社は、CSRを経営の基盤に据えて地域との共栄共存をアピールしている。CSRとは、企業が地域の一員としてステークホルダーに対して果たすべき社会的責任をいい、ステークホルダーには消費者や投資家、債権者だけでなく、従業員、取引先、行政など、地域社会の全ての構成メンバーが含まれる。大手各社がCSRを掲げる理由は、消費者の安全や安心、環境への配慮など世間の意識が高まるにつれ、自社の営利しか考えない強欲な経営姿勢は社会的信用を失い、持続的な発展が難しくなったからだ。
創業以来「お客様、取引先、株主、社員に信頼される誠実な企業でありたい」と社是に掲げ、ステークホルダーの立場に立った「ステークホルダー経営」に努めてきました。近年、社会は大きく変化し、ステークホルダーを取り巻く環境も日々変化を続け、ステークホルダーの期待や要望も変化しています。こうした変化に対応し、本業を通じてステークホルダーの抱える課題の解決に貢献できるように努力を続けています。
セブン&アイHD公式Webサイトより転載
またセブン&アイHDは、「私たちは、すべてのステークホルダーに信頼される、誠実な企業でありたいという社是に基づいて、事業を営んでいます。その実現のためにとるべき行動を『企業行動指針』として明文化しています。」とも宣言している。このような高尚なCSRを掲げておきながら、その結果が唐突な北海道・東北エリアからの全面撤退では、イトーヨーカドーの経営姿勢に対して無責任だ、といった批判が起こるのは無理もないことだと思われる。
大店法のくだりについて、まず大店法の果たした役割と廃止に至った経緯、その後の商店街への影響などについて解説する。大店法は大型店の新規出店に際して事前審査つき届出制を設けており、地元商工会などで構成される商業活動調整協議会が審査を行っていたため、大型店の進出に対する障壁となっていた。しかし日本での大型ショッピングセンター開設を目論むアメリカが、日米構造協議において日本政府に圧力をかけて、大店法を廃止に追い込んだ。
2000年に大店法は出店規制の緩い大店立地法に代わったが、実は同年に都市計画法が改正され、大店法とは違う切り口で大型店の郊外進出を規制することになった。また少子高齢社会を見越してコンパクトシティ構想が提唱されるようになり、2006年に改正中心市街地活性化法が施行されて都市中心部への商業集積を促進する施策が、また地域商店街活性化法において、コンパクトシティ時代の地域の担い手として商店街の存在が見直され、従来の商業機能に医療・介護、福祉、居住などを統合してゆく施策が打ち出されて現在に至る。
もっとも長い地域の歴史の中で、自然発生的に形成された商店街は、統一的な意思決定が難しいことから、これらの施策を上手に活用しきれず、衰退に至った商店街は少なくないと想像する。しかしそうであったとしても、これら一連の経緯については、商店街組合や商工会などもよく知っており、地域の商業関係者達が、商店街衰退の責任について、イトーヨーカドーをはじめとするスーパーマーケット各社に身勝手な批判を行っているとは到底思えない。
むしろローコスト経営を旨とする大手スーパーマーケットは、チェーンオペレーションにもとづく全国画一的な店舗運営を行わざるをえず、出店地域ごとの商圏特性にあわせたきめ細やかなマーチャンダイジングやプロモーションを展開することが難しい(要するに商売の小回りが利かない)。ゆえに地域のローカルチェーンや商店街と商品カテゴリーごとの棲み分けを行い、商業エリア全体で集客力をアップさせる戦略を採っているところが多い。
そのあたりは件のライター氏も「長らくスーパーと商店街は共存してきた」などと自ら記しているはずだが、今回のイトーヨーカドー大量閉店に対する批判は、これまでの紳士協定(共存共栄の関係)を一方的に反故にされたことに対して、無責任だと言っているのではないか。それがなぜ、まるで客観性の乏しい「クリシエ」だの「ファスト風土批判論」だのといった突拍子もない話に帰結するのか、私のようなガチの実務家には全くもって理解に苦しむ。
全体的にチェーンストア経営に対する基本理解を欠く、主観的で叙情的な記事であり、そもそも東京23区の店舗を引き合いに出して、商圏特性や出店戦略の異なる北海道・東北地区の閉店について論じること自体がアプローチとして間違っている。イトーヨーカドー撤退の件をどう受け止め、どう発信するかは個人の自由だが、ビジネス実務においては、頭でっかちなインテリさんの言葉遊びに惑わされぬよう、正しい知識と事実をもとに判断するようにしたい。
<追記>
ローカルのWeb経済ニュースで、主に流通小売業を取り上げることの多い北海道リアルエコノミーの2024年11月4日付け配信記事。イトーヨーカ堂が札幌市や函館市、北見市などとの連携協定を一方的に反故にしたことは、優等生企業らしからぬ爪痕としている。これを無責任といわずしてなんと言おうか?
「イトーヨーカドー」撤退が残した爪痕(北海道リアルエコノミー)