人事相談FAQでは、実際に運営者(RWC合同会社・RWC社労士事務所)が取り扱った人事相談のうち、頻出の事案あるいは重要と思われる事案を厳選し、医療業界に置き換えてご紹介しています。
依頼者からのご相談

病院歯科の事務長です。当院に勤務する歯科助手より「当院のA歯科医師から受けた度重なる厳しい叱責(パワーハラスメント)が原因で不眠症とうつ病を発症したため、労災保険の休業補償給付を申請したい」との申出を受けました。
当院としては、A歯科医師へのヒアリングも含め院内関係者に確認を行った結果、患者さんの安全確保に向けた診療上の必要な技術指導の範囲内であり、パワーハラスメントの事実はなかったと判断しております。
一方で本人からは労災申請書(様式第8号等)への事業主証明を求められておりますが、以下の点についてご教示いただけますでしょうか。
- 当院としてハラスメントの事実を認めていない場合、労災申請の事業主証明を拒否することは可能でしょうか?
- 申請に応じた場合、労働基準監督署から医院関係者(院長、勤務医、医療スタッフ等)に対するヒアリング調査や実地調査が行われる可能性はあるでしょうか?
- 当院側の正当性を守りつつ、トラブルや不要なリスクを最小限に抑えるために、どのような対応が適切でしょうか?
ご相談への回答

労災申請に対する事業主の証明義務
結論から申し上げますと、医院側が「ハラスメントの事実はなかった」と考えている場合であっても、職員による労災申請そのものを拒否することはできません。
労災保険法および関係通達に基づき、事業主には労働者が労災保険給付の請求を行うにあたって必要な証明を行う協力義務(証明義務)が課せられています。事業主証明欄は「労働者の主張通りの被災事実を法的に自認する」趣旨ではなく、負傷や発病の状況、賃金支払い状況等の事実関係について事業主の認識を記載する欄に過ぎません。
仮に貴院が証明を頑なに拒否した場合であっても、労働者は「事業主の証明が得られない理由書」を添付することで、事業主証明欄が空欄のまま所轄労働基準監督署へ直接請求を行うことが可能です。
事業主が証明を拒否して直接申請された場合、労基署からは「労災隠しや不当な手続き妨害が疑われる事業場」とみなされ、貴院の関係者に対して労働基準監督官からより厳格な事情聴取が行われるリスクが極めて高くなります。
労働基準監督署による事情聴取の可能性
精神疾患(うつ病、適応障害等)に起因する労災申請がなされた場合、労働基準監督署から貴院(院長、指導担当医、周囲のスタッフ等)への詳細なヒアリング調査や資料提出要請が行われる可能性は極めて高い(ほぼ確実に行われる)といえます。
外傷性の労災事故とは異なり、精神障害の労災認定は厚生労働省の「心理的負荷による精神障害の認定基準」に基づき、「ストレス・脆弱性理論」(業務による客観的ストレスの強さと個人のストレス耐性のバランス)に照らして慎重に判断されます。
具体的には「指導内容が業務上の適正な範囲を逸脱していたか」「時間外労働や業務密度はどうだったか」などを客観的に精査するため、被災者本人の供述のみならず、貴院の関係者からの事情聴取やタイムカード、アポイント帳、業務日誌等の提出・確認が詳細に行われるのが一般的です。
事業主がとるべき対応と申請拒否リスク
ハラスメントの存在を否定する医院側の立場を守るためには、申請を拒否して争うのではなく、正規の手続きの中で医院の主張を明記して労基署に提出することが最善の策です。
具体的には、申請書の事業主証明欄に「申請人が主張するようなハラスメントの事実は確認できていない」旨を付記するか、あるいは証明欄に「別紙参照」と記載した上で、院内調査の経緯、指導の具体的背景、周囲スタッフの証言などをまとめた意見書(理由書)を添付して労基署へ提出します。これにより、労働基準監督官に対して最初から公平な判断材料を提供することが可能となります。
また、事業主には労働契約法第5条に基づく安全配慮義務および誠実義務があります。正当な理由なく労災手続きへの協力を拒否・妨害したという事実は、将来的に職員から民事上の損害賠償請求訴訟を起こされた際、貴院側に不利な心証を与える要因となります。労災保険は本来、労働基準に定める事業主の災害補償補償責任を代行する制度でもあるため、感情的に拒否するのではなく、手続きには協力した上で客観的な事実関係を当局へ伝える対応が賢明です。
本件のポイント

- 事業主側がハラスメントの事実を否定している場合であっても、労働者による労災申請(事業主証明)を拒否することはできない。
- 事業主が証明を拒否しても労働者は単独で労基署へ直接申請可能であり、その場合は労基署から事業主への調査姿勢が厳格化するリスクが高い。
- 精神障害の労災認定においては、厚生労働省の認定基準に基づき客観的調査が行われるため、使用者や関係者へのヒアリングや勤務記録等の確認はほぼ確実に実施される。
- 事業主側の正当性を守るためには、申請書の証明欄に見解を付記するか、内部調査結果をまとめた意見書を添付して労基署へ提出するのが適切である。
- 合理的な理由のない労災申請拒否は、安全配慮義務・誠実義務違反として民事訴訟に発展した際に事業主側が著しく不利になる要因となる。
本記事の内容は投稿時点の法令にもとづき要点のみを平易な表現で執筆しています。実務においては所轄の官公署にご相談のうえ、貴院の実情に応じて適切にご対応願います。なお弊社でもオンライン人事相談を実施中です。詳しくは弊社ホームページよりご確認ください。


