はじめに
過重労働がもたらす健康障害の最たるものといえば「過労死」でしょう。不名誉なことに「Karoshi」はそのまま英語の辞書に収録され「過度の労働や仕事上のストレスが原因で引き起こされる死亡。主に日本において見られる現象。」などと解説されているそうです。
過重労働がもたらす健康障害
過重労働による代表的な健康障害
過重労働、すなわち長期間にわたる心身への過度な負担は、労働者の生命や健康に重大な影響を及ぼします。労災保険制度において、過重労働との関連が深く、保険給付の対象となる主な疾患は「脳・心臓疾患」と「精神障害」の2つに大別されます。
脳・心臓疾患には、脳内出血、くも膜下出血、脳梗塞、高血圧性脳症、心筋梗塞、狭心症、心停止、重篤な心不全、大動脈解離などがあります。加齢や生活習慣により機能低下した脳血管や心臓等が過重労働により増悪し、これらの疾患が発症すると考えられています。
精神疾患(精神障害)については、うつ病などが代表例です。過重労働やパワハラといった業務上の強い心理的負荷が原因となり、正常な認識や行為選択能力、または自殺を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されることで発症・悪化に至るとされています。
長時間労働者の面接指導
労働者の健康障害を未然に防止するため、労働安全衛生法では、一定の長時間労働者に対し医師による面接指導の実施を事業者に義務付けています。なお、これらの面接指導は管理監督者も対象ですのでご注意ください。
- 一般の労働者:時間外・休日労働時間が月80時間を超え、かつ疲労の蓄積が認められる労働者から申出があった場合に実施
- 研究職の労働者:時間外・休日労働時間が月100時間を超えた場合、労働者からの申出の有無にかかわらず必ず実施
- 医師・歯科医師:2024年4月以降、時間外・休日労働が月100時間以上となる見込みの医師に対し、実労働時間が100時間に達する前に実施(働き方改革関連)
ストレス・脆弱性モデル
業務災害の認定は、当該労働者が従事した業務の量、内容、作業環境等を考慮し、同種の労働者にとっても特に過重な身体的・精神的負荷であったかという「負荷の強弱」と、個体側の要因(本人の既往症や耐性)との兼ね合いで、客観的かつ総合的に判断されます。
これを「ストレス・脆弱性モデル」といいますが、労働時間が法定基準に達したからといって、直ちに業務災害となるわけではありません。精神疾患の要因となったストレスは一般的に強いといえるのか?また本人にとってはどうなのか?といった両方の視点で判定します。
過重労働が業務災害に認定される要件
脳・心臓疾患の認定要件
脳・心臓疾患の労災認定においては、「過重負荷」の有無が鍵となります。具体的な労働時間の目安(過労死ライン)は以下の通りです。
- 長期間の過重業務:発症前1ヶ月間におおむね100時間、または発症前2~6ヶ月間にわたって1ヶ月あたりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合、業務と発症との関連性が強いと評価されます。
- 短期間の過重業務:発症前おおむね1週間に、日常業務に比較して特に過重な負荷があった場合。
精神疾患の認定要件
精神障害の労災認定では、発病前おおむね6ヶ月間に発生した出来事による「心理的負荷」の強度を「強・中・弱」で評価します。
- 「強」と判定される目安:発病直前の1ヶ月間におおむね160時間を超えるような極めて長い時間外労働を行った場合や、月100時間程度の時間外労働が数ヶ月連続した上で、仕事内容の大きな変化やハラスメントが重なった場合などが該当します。
労働時間の客観的記録
適切な労災認定や面接指導を行うためには、正確な労働時間の把握が不可欠です。労働安全衛生法では、事業者は、タイムカードやICカード等の客観的な記録を根拠として、労働者の日々の始業・終業時刻を確認し、記録することを義務付けています。
労働基準法では使用者の現認による確認も認められる余地がありますが、労働安全衛生法上の健康確保措置(面接指導等)を適切に実施する観点からは、客観的な方法による記録が必須とされています。なお、出退勤の打刻は管理監督者も実施しなければなりません。
過重労働がもたらす医療経営のデメリット
医療事故の増加リスク
過重労働による疲労の蓄積は、集中力の欠如や判断力の低下を招きます。これは医療現場において、誤診、患者の取り違え、投薬・注射ミス、施術上の過誤といった医療事故(アクシデント)やインシデントのリスクを著しく高めます。
十分な睡眠が取れずに連続勤務が長引くことは、医療の質そのものを低下させ、患者の安全を脅かす経営上の重大な脅威となります。
医療職の離職リスク
過重労働を理由に離職した労働者は、雇用保険制度において「特定受給資格者」に認定される可能性が高くなります。具体的には、離職直前3ヶ月連続で45時間超、または1ヶ月100時間超、あるいは2~6ヶ月平均80時間超の時間外労働があった場合などが該当します。
特定受給資格者は、一般の離職者よりも失業給付(基本手当)の給付日数等で優遇されるため、経済的に転職が後押しされることになり、医療機関にとっては貴重な人材を失うだけでなく、採用・教育コストの損失に繋がります。
医療職の採用リスク
労働基準法等の違反(36協定の上限超過など)がある医療機関は、ハローワークにおいて求人票を受理してもらえない場合があります。
また、医療職は薬剤師会や看護協会といった「職能団体」のヨコのつながり、および養成機関(薬科大学や看護学校等)の同門という「タテのつながり」が他職種よりも非常に強固です。
違法な過重労働や劣悪な勤務環境に関する情報は、職種内のネットワークを通じて拡散されるため、一度「ブラックな職場」との悪評が立てば、新規採用が極めて困難になり、人材がすべての医療経営にとって致命的なダメージを受けます。
医師・歯科医師の働きかた改革
改革の概要
医師・歯科医師の働き方改革は、2024年4月1日から本格的に施行されました。これまで上限がなかった勤務医に対しても、時間外・休日労働の上限規制が適用され、原則として年960時間、地域医療確保等の特例(B・C水準)であっても年1,860時間が絶対的な上限となりました。
改革の目的
この改革の中核をなすのは、勤務医の過重労働の解消と抑制です。医師の健康を守ることは、良質かつ適切な医療を効率的に提供する体制を維持するために不可欠であり、過重労働によるバーンアウトや離職を防ぎ、持続可能な地域医療を守ることを目的としています。
過重労働抑制に向けた取り組み
過重労働による業務災害を抑制するため、医療機関には以下の措置が求められています。
- 勤務間インターバルの確保:終業から翌日の始業までに、原則として9時間(宿日直許可なしの場合は18時間)の休息時間を確保することが義務付けられました。
- 代償休息の付与:緊急対応等でインターバルが削られた場合、翌月末までに相当する休息を付与する必要があります。
- タスク・シフト/タスク・シェア:医師の業務の一部を看護師や事務職員等へ移管し、医師に集中していた業務負荷を分散させる取り組みが推奨されています。
- 面接指導:長時間労働が予見される医師に対し、睡眠や疲労の状況を事前に確認し、医師の意見にもとづき就業場所の変更や労働時間短縮などの措置を遅滞なく講じることが不可欠です。
まとめ
過重労働は前時代的なデフレ型雇用形態であり、ワーク・ライフ・バランスやキャリア形成を阻害することで、従業員満足度を低下させます。労働集約型かつ対面サービスを主体とする医療業では、医療サービスの質の低下を招き、患者離れを加速させます。
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