人事相談FAQでは、実際に運営者(RWC合同会社・RWC社労士事務所)が取り扱った人事相談のうち、頻出の事案あるいは重要と思われる事案を厳選し、医療業界に置き換えてご紹介しています。
依頼者からのご相談

当院は、訪問歯科診療に力を入れている歯科クリニックです。歯科医師、歯科衛生士、歯科助手の3名体制で、毎日10件前後の居宅や施設を社用車で回っています。
最近、スタッフから移動時間の扱いについて以下のような相談を受けました。
- 「次の訪問先までの移動中、ポータブルユニットや高価な材料を積みっぱなしなので、うっかり車を離れることもできない。これは休憩ではなく仕事ではないか」
- 「3人で同乗している際、自分が運転していない時間も、いつでも運転を代われるように待機している。これも労働時間に含まれるのではないか」
事務長からは「移動時間は単なる場所の移動であり、実際に診療を行っていないのだから労働時間にはあたらない。移動中に各自自由にスマホを見たり休憩したりしているはずだ」との意見が出ています。
訪問歯科診療における「移動時間」が、法的な労働時間として認められる境界線はどこにあるのでしょうか。また、器材の搬入・搬出や車両管理が労働時間判定に与える影響について教えてください。
ご相談への回答

訪問歯科診療において、拠点から訪問先へ、あるいは訪問先から次の訪問先へと移動する時間は、実務上の大きな比重を占めます。この「移動時間」が労働基準法上の労働時間に該当するか否かは、「労働者が使用者の指揮命令下に置かれた時間」と言えるかどうか、客観的な実態によって判断されます。
判例に基づく「労働時間」の定義
最高裁判例(三菱重工長崎造船所事件等)では、労働時間とは「労働者の行為が使用者の指揮命令下に置かれたものと評価できるか否かにより客観的に定まる」としています。
訪問歯科の移動時間において、以下の実態がある場合は、たとえ直接診療を行っていなくても、指揮命令下にある「労働時間」とみなされる可能性が極めて高いです。
- 車両の運転業務: 当然ながら、社用車を運転している時間は業務そのものです。
- 運転交代要員としての同乗: 2人以上で同乗し、必要に応じて運転を代わるよう命じられている場合、運転していない時間も「手待時間」として労働時間に含まれます。
- 物品の管理・運搬: 歯科訪問診療料の算定において、切削器具(ポータブルユニット等)の常時携行は必須要件です。これらの高価な器材や薬剤の管理・監視を任されている移動時間は、自由な利用が保障されているとは言えず、労働時間と解されます。
「診療時間」と「労働時間」の混同に注意
事務上の混乱を招きやすいのが、診療報酬上の「診療時間」と、労務管理上の「労働時間」の違いです。
- 診療報酬上のルール: 歯科訪問診療料(20分ルール等)の算定基礎となる時間には、診療前の準備や後片付け、患者の移動やスタッフの移動時間は含まれません。
- 労務管理上のルール: 一方で、労働基準法においては、診療に向けた器材の準備、車への積み込み、移動、後片付けはすべて**「診療に付随する不可欠な業務」**であり、全額の賃金支払い義務が生じる労働時間です。
直行・直帰時の移動時間の境界線
「自宅から直接訪問先へ向かう」「最後の訪問先から自宅へ帰る」場合の時間は、原則として「通勤」であり労働時間には含まれません。
ただし、前日にクリニックからポータブルユニット等を持ち帰り、翌朝それを持って訪問先へ向かう場合など、「物品の運搬・管理」を事実上義務付けられている場合は、単なる通勤の枠を超え、移動の全行程が労働時間と判断されるリスクがあります。
実務上のアドバイス:客観的把握の徹底
トラブルを避けるためには、移動時間を「グレーゾーン」にせず、以下の管理を徹底することが重要です。
- 労働時間の客観的記録: 労働安全衛生法に基づき、管理監督者を含めたすべてのスタッフの労働時間を、タイムカードや日報などで客観的に記録・把握しなければなりません。
- 休憩時間の明確化: 移動時間を「休憩」と主張するには、労働者が完全に業務から解放され、自由に利用できる状態でなければなりません。器材管理が必要な移動時間とは別に、確実に業務から離れられる休憩時間を確保し、シフトに明示する必要があります。
本件のポイント

- 訪問歯科の移動時間は、運転や器材の運搬・管理を伴う限り、原則として「労働時間」に該当する。
- 運転交代要員としての同乗も、完全に自由な利用が保障されていない限り「手待時間(労働時間)」とみなされる。
- 診療報酬上の「算定対象時間」と、労務管理上の「給与支払い対象時間」は別物であることを正しく認識する必要がある。
- 安衛法に基づき、移動時間を含めた1日の総労働時間を客観的に把握することは、事業者の法的な義務である。
スタッフが移動中も「専門職としての責任」を果たしている実態を認め、適切な時間管理と報酬の支払いを行うことが、優秀な歯科専門職の定着とクリニックの信頼性を守る鍵となります。
本記事の内容は投稿時点の法令にもとづき要点のみを平易な表現で執筆しています。実務においては所轄の官公署にご相談のうえ、貴院の実情に応じて適切にご対応願います。なお弊社でもオンライン人事相談を実施中です。詳しくは弊社ホームページよりご確認ください。