はじめに
労災事故の無い安全な職場づくりは人事マネジメントの最低条件であり、使用者が労働者に対して安全配慮義務を果たすためには、労働安全衛生に対する取り組みが不可欠です。本記事では医療機関特有の事情を踏まえた労働安全衛生管理体制確立の基本を解説します。
労働安全衛生とは?
法令にもとづく事業者の義務
労災事故防止のための労働安全衛生の根拠法令は労働安全衛生法です。同法は高度経済成長にともなう工業化の進展および大型施設の建設ラッシュによって、重篤な労災事故が急増したことを契機に、1972年に労働基準法の労働安全条項が独立して制定・施行されました。
同法では労災事故防止のための①危害防止基準の確立、②責任体制の明確化、③自主的活動の促進を柱としており、事業者は同法の最低基準を守るだけでなく、快適な職場環境の実現と労働条件の改善を通じて、労働者の安全と健康を確保する義務を負っています。
労働安全と労働衛生のちがい
労働安全衛生管理体制とは「労働安全(負傷防止)」と「労働衛生(疾病予防)」の両面から、職場における責任者を設置し、労働安全衛生の取り組みを推進する仕組みをいいます。具体的には、推進担当者の選任、委員会の開催、健康診断等の実施などです。
なお、医療業は労働安全衛生法の工業的業種等には含まれないため、安全管理者や安全委員会の設置義務の対象外です。一方で当直勤務や診療放射線機器の操作あるいは医療安全管理など、医療業界特有の事情に応じた労働安全衛生への取り組みが求められます。
病院における安全衛生管理体制
本章では、従業員数1,000人超の特定機能病院を想定して、労働安全衛生法に定める安全衛生管理体制の構築について解説します。
安全衛生管理の推進者
- 総括安全衛生管理者
- 要件:医療業(その他の業種)は、常時1000人以上の労働者を使用する事業場ごとに選任が必要です。
- 資格:特別な資格は不要ですが、病院長など、事業場を統括管理する立場の者を選任しなければなりません(副院長はNG)。
- 専属・専従:専属である必要はなく、他の職務との兼任も可能です。
- 届出:規定の従業員数に達してから14日以内に選任し、選任後は遅滞なく所轄の労働基準監督署長に届出しなければなりません。
- 職務:衛生管理者の指揮や、労働者の健康障害の防止、健康診断の実施などの業務をトップマネジメントの立場から統括管理します。
- 衛生管理者
- 要件:常時50人以上の労働者を使用する事業場で選任します。労働者が1000人を超えると4人以上の衛生管理者が必要です。
- 資格:医師、歯科医師、労働衛生コンサルタント、または衛生管理者免許(医療業の場合は第1種等)を持つ者から選任します。
- 専属・専従:事業場に専属の者である必要があります。1000人超の事業場は、1人以上を衛生管理業務に専従させなければなりません。
- 届出:規定の従業員数に達してから14日以内に選任し、選任後は遅滞なく所轄の労働基準監督署長に届出しなければなりません。
- 職務:少なくとも毎週1回作業場を巡視し、衛生状態に有害のおそれがあるときは直ちに措置を講じます。
- 産業医
- 要件:常時50人以上の労働者を使用する事業場に1人以上必要です。複数の産業医の選任が必要なのは、労働者数が3,000人以上からです。
- 資格:医師であり、かつ厚生労働大臣が定める研修の修了者(産業医認定)等である必要があります。
- 専属・専従:常時1000人以上の労働者を使用する事業場の産業医は専属となります(夜勤従事者が500名を超えると専従の産業医が必要)。
- 届出:規定の従業員数に達してから14日以内に選任し、選任後は遅滞なく所轄の労働基準監督署長に届出しなければなりません。
- 職務:健康診断や面接指導の実施、作業環境の維持管理などを行い、少なくとも毎月1回(一定条件で2ヶ月に1回)の作業場巡視が義務です。
衛生委員会の設置と運営
- 設置要件:常時50人以上の労働者を使用する全ての事業場に設置義務があります。
- メンバー:議長(総括安全衛生管理者等)、衛生管理者、産業医、および衛生に関する経験を有する労働者で構成されます。(議長以外の半数は労働組合等の推薦により指名)
- 目的・実施事項:労働者の健康障害防止や健康保持増進(精神的健康含む)の基本対策を調査審議します。
- 記録:議事の概要を遅滞なく労働者に周知し、記録を3年間保存しなければなりません。
放射線作業主任者の選任
診療放射線技師とは別に、エックス線装置等を用いる作業場では労働安全衛生法の電離放射線障害防止規則にもとづき、エックス線作業主任者等の選任が必要です。
- 選任が必要なケース:CTやレントゲンなどのエックス線装置(管電圧の定格出力10kV以上)を使用する場合や、リニアック、放射性同位元素を用いる治療を行う場合など、装置の種類やエネルギー量に応じて各作業主任者を選任します。
- 主な職務:管理区域の標識設置、照射条件の調整、放射線業務従事者の指揮など、被ばく防止の技術的管理を行います。
- 人員配置基準(医療法):医療法上、病院には実状に応じた適当数の診療放射線技師を置く必要があります。技師が正当化と最適化を担保し、医師が適切に指示する体制がある場合に限り、技師を医療放射線安全管理責任者とすることも可能です。
小規模診療所の安全衛生管理体制
小規模事業者の労働安全衛生
公的統計データによると、日本国内における一般的な歯科クリニックの平均的な従業員数は4.5〜5.5人といわれていますので、多くのクリニックでは労働安全衛生法に定める管理者の選任義務や委員会の設置義務の対象外となります。
- 50人以上の場合:衛生管理者と産業医を選任し、衛生委員会を設置しなければなりません(前章の病院と同じルールです)。
- 50人未満の場合:衛生管理者や産業医の選任や、衛生委員会の設置は不要ですが、労働者が10人以上の事業場は衛生推進者を選任しなければなりません。なお衛生推進者を選任した場合は、事業場の掲示板にその旨を掲示し、職場に周知する必要があります(監督署への届出は不要です)。
- 10人未満の場合:衛生推進者の選任も不要ですが、院長(事業者)自身が安全配慮義務にもとづき、自院の安全衛生を直接管理・運営する義務を負います。
なお、衛生委員会を設置する義務がない50人未満の事業場であっても、事業者は安全衛生に関する事項について、関係労働者の意見を聴くための機会(月例ミーティング等)を設けるよう努めなければならないとされています。
社外専門家を活用する
体制整備の義務が免除される小規模な事業場であっても、労働安全や労働衛生に対する管理責任が不問とされるわけではありません。また健康診断や安全教育の実施、長時間労働者に対する面接指導および就労上の配慮義務なども免責されません。
しかし労働安全衛生に対する責務を院長先生がひとりで担うのは大変でありリスクも伴います。そこで医療労務コンサルタント認定を有する社会保険労務士や労働衛生コンサルタント、地域産業保健センターなどの外部資源を活用することを推奨します。
労働安全と医療安全
医療安全管理委員会
医療従事者の中には、労働安全と医療安全を混同している方も散見されるようです。医療安全と労働安全は目的も対象も異なりますが、一部については重複する部分もあるため、議論の論点が混線しないよう注意しつつ、一体的に運用するのが理想的です。
- 医療安全管理委員会(医療法):「患者の安全(医療事故防止・インシデント対策)」を目的とし、病院および有床診療所に設置と月1回程度の開催が義務付けられています。また診療報酬の加算算定のための主要な施設基準にもなっています。
- 衛生委員会(労働安全衛生法):「労働者の安全と健康」を目的とします。両者の目的は異なりますが、医療現場では「針刺し事故」のように患者の安全(感染防止)と職員の労働衛生が直結する場面も多いため、セットでの議論は有意義です。
医療安全管理委員会と衛生委員会をまとめて開催することは問題ありませんが、各法令が定める構成員や審議事項の要件はそれぞれの委員会においてクリアする必要があります。
院内感染対策委員会
院内感染対策委員会も医療法に基づき、月1回程度の開催が必要です。これは患者の感染症対策だけでなく、職員へのワクチン接種や健康管理など労働衛生の側面も含むため、衛生委員会の審議事項(健康障害防止対策)と深く関連します。
また感染症に特有の労務管理上の論点として「感染症に罹患した疑い」と「感染症の診断が確定した」場合の勤務上の取り扱いの違いがよく知られています。
- 感染症の疑い:感染症の検査を受診させ、結果が判明するまでは職場感染防止のために自宅待機を命じます。この場合は休業手当の支払いが必要です。
- 感染症の診断:感染症が診断された場合は就労できませんので欠勤となります。欠勤は無給あるいは年次有給休暇を充当することになります。
判断の基準は「勤務先の都合で本人に就労の機会を与えない」のか、「本人の事情によって就労することができない」のか、によります。
安全衛生措置を怠った場合のリスク
- 労働安全衛生法違反:産業医の選任義務違反や健康診断の未実施などは罰則(罰金等)の対象となります。また、厚生労働大臣(都道府県労働局長)から、特別安全衛生改善計画(安全衛生改善計画)などの作成を指示される(行政処分を受ける)リスクがあります。
- 安全配慮義務違反:悪質な労働安全衛生法違反による重篤な労災事故では、労災保険で補償されない慰謝料などについて、民事上の損害賠償責任を負う可能性があります。労災により労働者が休業している期間およびその後30日間は解雇できません。休業中は社会保険料負担も発生します。
- 医療関係法令違反:各都道府県が行う医療監視において、安全管理体制や職員の健康診断、面接指導の実施状況がチェックされます。不備がある場合は改善命令が出され、最悪の場合は特例水準の指定取消や、診療報酬の施設基準を取り下げるなど、経営上の致命的な打撃に繋がります。
- 採用難と離職増加:医療従事者は専門過程を修了し、国家試験に合格して入職してくるため、卒業後も同門のタテのつながりを維持しているケースが多いです。また職能団体(歯科医師会等)や所属している学会を通じてヨコのつながりも構築しやすく、悪い噂はすぐに業界に広まります。
まとめ
本記事は大病院を想定した内容がメインでしたが、衛生管理者の選任や衛生委員会の設置義務の無い小規模なクリニックこそ、労働安全衛生の原理原則をきちんと把握し、自院の診療機能や事業規模に応じた適切な労働安全衛生への取り組みを行うことが必要でしょう。
本記事の内容は投稿時点の法令にもとづき要点のみを平易な表現で執筆しています。実務においては所轄の官公署にご相談のうえ、貴院の実情に応じて適切にご対応願います。なお弊社でもオンライン人事相談を実施中です。詳しくは弊社ホームページよりご確認ください。
