はじめに
本記事では労災事故のうち、業務災害について詳しく取り上げます。医療業界に多い副業・兼業時の労災認定および保険給付の取り扱いや、業務災害を巡ってありがちな誤解なども、筆者の体験事例などを交えてつつ、具体的かつわかりやすく解説してゆきます。
業務災害とは?
業務災害の定義
業務災害とは、労働者が業務を原因として被った負傷、疾病、障害、または死亡を指し、労災保険の給付の対象となります。これに対し、プライベートでの怪我や病気は「私傷病」と呼ばれ、健康保険などの医療保険から保険給付されます。
また、仕事そのものではなく、職場への往復中に発生した災害も労災ですが、業務災害とは別に「通勤災害」として区別されます。なお通勤災害の場合は、労働基準法に定める事業主の災害補償義務や解雇制限の対象外であることに注意が必要です。
業務災害の認定要件
業務災害と認められるためには、次の2つの要件を満たす必要があります。
- 業務遂行性:災害発生時に、労働者が労働契約に基づき、事業主の支配下(指揮命令下)にあること。
- 業務起因性:その災害が業務に起因して発生したものであること、すなわち、業務と傷病との間に相当因果関係が存在すること。
業務災害が認定されると
認定を受けると、被災労働者やその遺族に対して、療養補償等給付、休業補償等給付などの労災保険給付が行われます。休業補償等給付が行なわれない最初の待機期間(3日間)は、労働基準法の災害補償義務にもとづき、事業主が休業補償を行なわねばなりません。
また、事業者は労働者が労働災害により死亡または休業した際、遅滞なく所轄労働基準監督署長に労働者死傷病報告を提出する義務があります。なお、一定規模以上の事業場では、労働災害の発生状況に応じて労災保険料が変動するメリット制が適用される場合があります。
なお、業務災害による療養のために休業している期間およびその後30日間は、事業者は当該労働者を解雇することができません。
業務災害にまつわる誤解・注意点
医療現場で起こり得る業務災害にまつわる誤解や注意点について、筆者が実際に体験した事例をもとに、医療従事者と顧問社労士の対話形式でまとめてみました。
始業前の着替え時の負傷は業務災害か?

始業直前に慌てて着替えようとして、更衣室のロッカーで指を骨折したセラピストがいます。うちの科長は「始業前だし自業自得だ。病院に迷惑をかけるな」と言っていますが、労災にはならないのでしょうか?
制服の着用が義務付けられていれば、着替えは事業主の支配下にある労働時間とみなされます。たとえ始業前であっても、事業場施設内での準備行為中に起きた事故は、業務災害として認定される余地が十分にあります。

勤務終了後の研修会での怪我は業務災害か?

終業後に参加していたAED研修で、蘇生訓練用のダミー人形につまづいて捻挫した看護師がいます。看護部長は「勤務時間は終わっているから労災ではない」と言い張っています。私傷病として扱って良いですか?
判断のポイントは「強制力」です。出席が義務付けられていたり、実質的に参加が強制される研修中の事故は業務遂行性が認められます。看護部長の仰る「時間外だから」という理由だけで労災を否定することはできません。

帰宅中に職場の駐車場でトラブルに遭ったら?

診察を終え、私服に着替えてから、帰宅しようと病院の駐車場へ向かっていたところ、泥酔した通行人に突然殴られました。医局長からは「業務後だし私服だから労災にならない」と言われましたが、本当ですか?
終業後でも事業場施設内(駐車場など)にいる限りは事業主の管理下にあると認められます。施設の管理状況や欠陥が原因で、面識の無い相手とのトラブルに巻き込まれたのであれば、業務災害と認定されるケースもあります。

業務災害かどうかを決めるのは事業主?

年配の技工士さんが指を怪我しましたが、院長は「加齢による視力低下が原因だから、これは本人の問題だろう。当院としては労災は認めない」と言っています。そもそも労災かどうかは院長が決めるのですか?
業務災害に該当するかどうかの決定権を持つのは、院長ではなく「所轄労働基準監督署長」です。事業主には、労働災害が発生した際に「労働者死傷病報告」を提出する義務がありますが、労災認定は監督署が行います。

健康保険証を使うとどうなるのか?

当院の受付担当者がインフルエンザに感染したようです。事務長から「一概に労災とは言えないから、とりあえず今回は健康保険証で受診しては?」と言われました。そのまま健康保険で済ませても良いのでしょうか?
業務災害は健康保険証を使用できません。インフルエンザであっても、業務中に感染した蓋然性が高いのであれば労災保険の対象です。誤って健康保険で受診すると、保険者(健康保険)に療養費を返還しなければなりません。

複数業務要因災害とは?
副業・兼業を認めている職場必見
医師や歯科医師の場合、主たる勤務先とは別に、他の医療機関で出張医や非常勤医として勤務する副業・兼業は珍しくありません。一方で、業務災害によっては、本業先の業務に起因するものなのか、副業・兼業先の業務に起因するものなのか判別できない時があります。
複数業務要因災害は、どちらの勤務先で労災保険の保険給付を申請してよいかわからない場合に、副業・兼業を行っている労働者(複数事業労働者)に対し、労災保険から保険給付を行う制度です。なお複数業務要因災害は、通勤災害についても保険給付の対象です。
複数業務要因災害の認定プロセス
個別の就業先の負荷のみでは認定基準に達しない場合、すべての就業先の業務負荷(労働時間やストレス等)を総合的に評価して労災認定が行われます。つまり労働基準監督署にて、個々の事業場の業務災害か、複数業務要因災害かを判定します。
なお、本業あるいは副業・兼業先の業務災害として認定(療養補償給付や障害補償年金などの支給決定)された場合、複数事業労働者としての給付の届出や請求は、当初より行われなかったものとみなされます。
業務災害が発生したら…
労災指定病院を受診させる
労災事故が起きた際は、原則として「労災指定病院」を受診させます。これにより、労働者は窓口での自己負担なく治療を受けることができます。やむを得ない事情で労災指定病院を受診できない場合は、最寄りの医療機関を受診します(医療費は全額を立て替え払い)。
労災保険の保険給付を申請する
- 労災指定病院を受診:指定病院等を経由して「様式第5号(療養の給付)」を提出します。医療機関の窓口において自己負担は発生しません。
- 労災指定病院以外を受診:指定外の病院を受診した場合は、いったん医療費の全額を立て替え、後日「様式第7号(療養の費用の給付)」を所轄の労働基準監督署に提出し、立て替えた医療費の還付を請求します。
原因究明と再発防止策を検討する
一定規模(常時50人以上)の医療機関では衛生委員会の設置が義務付けられています。労働災害が発生した際は、委員会で原因調査及び再発防止対策について調査審議し、議事を記録(3年間保存)しなければなりません。
労働者死傷病報告の提出
労働者が労働災害により死亡または休業した場合、事業者は「労働者死傷病報告」を所轄労働基準監督署長に提出しなければなりません。休業4日以上の場合は遅滞なく、4日未満の場合は3か月ごとにまとめて報告します。なお報告書の提出は電子申請が原則です。
業務災害にどう向き合うべきか?
事故の傾向を分析し防止に努める
労災対策は、1.事故を起きなくする(物理的対策:安全装置等)、2.起きにくくする(運用的対策:就業ルール等)、3.二次災害を防ぐ(事後的対策:保険加入等)、の3本柱が基本であり、その前提として、業界特有の労災事故の傾向を知っておく必要があります。
医療業界に多い主な業務災害
- 職業性腰痛:入院患者のベッド移乗の介助やリハビリテーションにおける不自然な姿勢の継続が主な要因です。
- 転倒:入浴介助の際の浴室の水濡れによるスリップあるいは医療機器の配線へのつまずきが主な原因としてあげられます。
- 針刺し・切創:採血後のリキャップミスや患者の不意の動きによる穿刺など、感染症リスクを伴う負傷が発生します。
- 感染症罹患:患者の診療や看護、検体の取り扱いによる病原体への曝露が原因です。医療従事者のほか外来の受付や会計担当者も感染リスクに晒されます。
- 精神障害・メンタルヘルス不調:不規則な勤務、過重業務に加え、カスハラ(患者や家族からの迷惑行為)による心理的負荷が労災認定基準に追加されました。
労災事故を隠すとどうなるか?
労災事故が医療経営にマイナスの影響を与えることは誰でも理解していると思われますが、事業者の中には労災事故の防止に努めるより、労災事故そのものを無かったことにしてしまおう…と考える不届き者が残念ながら少なからず存在します。
いわゆる「労災隠し」は50万円以下の罰金が科せられる可能性があります。また労災事故から目を背けることで、労働安全衛生に取り組む機会を自ら放棄するのみならず、職員からの信用を失い、やがて自院の経営にボディーブローのようにジワジワと効いてきます。
まとめ
筆者が人事相談を受ける際に、労働法令や行政解釈だけでは判断がつかず、過去の労働裁判の判例を参照することがありますが、業務災害の認定を巡る裁判は多いです。業務災害は対処を誤ると、経営に大きなダメージを与えますので、迷ったら専門家にご相談ください。
本記事の内容は投稿時点の法令にもとづき要点のみを平易な表現で執筆しています。実務においては所轄の官公署にご相談のうえ、貴院の実情に応じて適切にご対応願います。なお弊社でもオンライン人事相談を実施中です。詳しくは弊社ホームページよりご確認ください。
