労災保険制度の目的
労災と私傷病
労働者が負傷したり病気に罹った場合、業務に起因するものを労働災害といい、業務外のものを私傷病という。そして労働災害か私傷病かによって、療養の費用や生活保障のために適用される社会保険の制度も異なってくる。
また労働災害のうち、業務上の行為に起因するものを業務災害、通勤時のアクシデントに起因するものを通勤災害、複業・副業など複数の事業主における複数の業務に起因するものを複数事業業務災害といい、これらについても適用される労災保険給付が異なる。
労働基準法との関係
労働災害のうち、業務災害については、もともと労働基準法において、事業主に被災労働者への補償を義務付けている。しかし事業主の資力不足によって補償が履行されず、被災労働者が困窮することのないように、労災保険が事業主の補償義務を代行する仕組みになっている。
労災保険制度の内容
労災保険の各種給付
労災保険制度は、保険本体としての各種給付と付帯事業としての社会復帰促進等事業の2本柱で構成されている。このうち保険本体の給付は、傷病の治療のための療養サービスや介護サービスなどの現物給付と、労働不能に対する生活補償にかかる現金給付となっている。
ここから先はスペースの都合上、業務災害の保険給付と通勤災害の保険給付をひとまとめにして、”◯◯(補償)等給付”という表現とさせていただく。
療養(補償)等給付
労災による病気や負傷の療養費に対する保険給付。患者の自己負担はないが、労災指定病院を受診することが原則(通常の保険診療病院を受診すると、いったん療養費の全額を立替払いする必要がある)である。
休業(補償)等給付
労災により就労不能となったために休業せざるを得なくなり、なおかつ賃金が支払われない時に、経済的な補償を行う。通常は休業4日目から、休業した日ごとに、被災労働者の平均賃金の6割が、労災保険から給付される。
傷病(補償)等年金
休業(補償)給付を受けて1年6ヶ月経過し、傷病等級第1級〜3級に該当した場合に、休業補償給付から傷病補償年金に切り替わる。休業が長期化した重症者に対する保険給付を、日払い方式から年金方式に改めるということである。
障害(補償)等年金・障害(補償)等一時金
労災によって障害状態(療養を続けても症状の改善が見込めない状態)となった場合に、障害の程度に応じた保険給付が行われる。重度障害(障害等級第1級〜7級)は年金にて、軽度障害(第8級〜14級)は一時金での支給となる。
介護(補償)等給付
傷病(補償)等年金もしくは障害(補償)等年金を受給している者のうち、傷病(障害)等級第1級(常時介護)もしくは第2級(随時介護)に該当するため、介護サービスを利用している場合に、介護費用を労災保険から給付する。
遺族(補償)等年金・遺族(補償)等一時金
労働者が労災によって死亡した場合に、一定の受給権を満たす遺族に対し、労災保険から遺族(補償)等年金を支給する。なお遺族(補償)年金の受給資格を満たしている遺族がいない場合は、遺族(補償)等一時金が支給される。
葬祭料(葬祭給付)
労働者が労災によって死亡した時に、葬祭を行う者に対して労災保険から葬祭費用見合いの保険給付を行う。業務災害による死亡の場合は葬祭料、通勤災害による死亡の場合は葬祭給付という。
二次健康診断等給付
二次健康診断等給付は、労働安全衛生法に定める一般健康診断において、脳や心臓に異常の所見があった労働者に対し、健診給付病院において、二次健康診断および保健指導を無料で提供するものである。
社会復帰促進等事業
社会復帰促進等事業は、労災保険の付帯事業として、労災に遭った労働者の社会復帰促進事業、労災保険給付に上乗せ支給を行う特別支給金などの被災労働者等援護事業、業務災害防止のための安全衛生確保等事業の3つである。
例えば労災保険の本体給付とセットで運用される特別支給金については、それぞれの本体給付に併せて下表のようなものが用意されているが、療養、介護、二次健康診断のような現物給付(直接サービスを提供される給付)に対応する特別支給金は用意されていない。
たとえば休業(補償)給付の休業前賃金の60%+休業特別支給金から休業前賃金の20%=80%が給付される仕組みとなっている。労働保険では、育児介護休業給付金も休業開始時賃金の80%を保障する制度となっている。
労災保険制度の対象
適用事業所と労働者
労災保険は労働基準法に定める事業主の災害補償義務を代行する制度なので、労働者を1人でも使用する事業場は、業種や規模に関係なく強制的に労災保険に加入することとなり、労災保険料も全額が事業主負担となる(↔社会保険や雇用保険は保険料を労使折半で負担)。
雇用身分や労働時間の長短をを問わず、全ての労働者が労災保険から補償を受けられる。例外は共済組合から災害補償を受けられる国家公務員と地方公務員、そして国民健康保険で労災もカバーされる個人経営の農業及び漁業である。
特別加入制度
経営者は労働者ではないので労災保険の補償対象外である。しかし小規模事業では経営者が従業員と一緒に現場作業に従事するケースは珍しくなく、経営者であっても労働者と同様の労災リスクに晒されるため、一定の要件を満たす場合に経営者の特別加入を認めている。
経営者が労災保険に加入するためには、①労働者災害補償保険法の規定数以下の事業規模であること、②労働保険事務組合に自社の労働保険事務を委託すること、③原則として全役員が労災保険に包括加入すること、の3つを満たす必要がある。
なお労災保険の特別加入制度を利用しなくても、従業員数5人未満の法人の役員は、健康保険で業務災害の療養を受けられる場合がある。また個人事業主が加入する国民健康保険は、労働災害と私傷病の両方に対して保険給付を行うことになっている。
社会保険との関係
健康保険・国民健康保険
労災保険は労働災害による傷病に対して保険給付を行い、健康保険は私傷病に対して、また国民健康保険は業務外と私傷病の両方に対して保険給付を行うことになっているが、保険給付の内容は原則として同じものとなっている。
なお労災認定まで時間を要する場合にはいったん健康保険もしくは国民健康保険から保険給付が行われる。そして後日に労災保険から保険給付が行われることとなった場合、以後については健康保険および国民健康保険からの保険給付は行われなくなる。
厚生年金保険・国民年金
労災保険には労災によって障害となった労働者に対して障害(補償)等年金が、また労災によって死亡した労働者の遺族に対して遺族(補償)等年金が支給される。一方で厚生年金保険と国民年金にもそれぞれ障害年金と遺族年金があり、これら社会保険の場合は業務上か業務外かを問わずに支給される。
もし労災保険とこれら社会保険が併給される場合には、厚生年金保険と国民年金が優先され、労災保険からの保険給付は下表のように一定の割合が減額されて支給されることになっている。なお国民年金の二十歳前傷病の障害基礎年金に限り、労災保険が優先され、国民年金が全額支給停止となる。
広義の社会保険とは健康保険、国民年金、厚生年金保険、雇用保険、労災保険など全て含めた概念であり、狭義の社会保険とは、健康保険、国民年金、厚生年金保険のみをいう。この場合、雇用保険と労災保険は労働保険という。
労災保険制度のまとめ
労災保険は医療保険と年金保険の両方の機能を備えており、また国民年金や厚生年金保険の制度設計のベースとなった制度でもある。一見して複雑怪奇でとっつきにくい印象のある社会保険制度だが、労災保険制度を理解することで、社会保険制度の仕組みも見えてくるだろう。
なお労災保険の各種給付は、労働者が退職することによって支給が打ち切られることはない。また国民年金や厚生年金保険の年金給付に期限が設けられているのに対し、労災保険は療養や休業、障害の状態が続く限り保険給付が行われることも知っておきたい。
労災保険は事業主の災害補償責任を代行するものであり、また労災に被災した労働者とその家族の生活の拠り所となる重要なライフラインでもある。ゆえに使用者は労災保険制度の概要くらいは社会常識として把握しておき、有事の際には適切に対応できるようにしておきたい。